ビックリハウス・アゲイン」の「ハウサー掲示板」をルーツとする「かわなかのぶひろさんがコラムを掲載し、そこに皆さんでコメントを寄せるという掲示板風ページ」です。
2004年11月にオープンした新館「かわごちコラム 日記篇」に引き継がれました。新館へどうぞ。こちらは閲覧専用のバックナンバーです。

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「ビックリハウス創刊前夜」 かわなかのぶひろ [2004/03/08,12:29:50] No.503 このコラムにコメントを書く
30年と半年ぐらい前だった。

いつもは沈着冷静な萩原朔美が、いきなり

「雑誌をつくろう!」と、キラキラ目で上

ずった声をあげた。

それがはじまりだった。


海外にあるようなアートマガジンを日本で

も出そうよ、と言いだしたのである。

ニューヨークのアート情報誌「ヴィレッジボイス」

あたりをイメージしていたのだろう。

当時萩原は、米国国務省の招待を受けて、ニュー

ヨークのアート・シーンをつぶさに見聞してきた

ばかりだった。

といっても彼が最も注目したのは、国務省の担当官が推奨するアート観光スポ

ットではなく、郊外の農場で共同生活をしながらビデオをつくり続けているグ

ループだったり、ヒッピーカルチュアだった。

そこではバクミンスター・フラーが提唱する「宇宙船地球号」の影響を色濃く

宿した「ホールアースカタログ」がベストセラーとなっていた。

これは「宇宙船地球号」の乗組員であるわれわれひとりひとりが、サバイバル

するためのカタログである。29歳のヒッピー、スチュアート・ブランドが発

想したこのカタログは、これまでのように消費をつくりだすカタログではなく、

人間が生きるために必要なあらゆる情報を網羅したサバイバルマニュアルとい

うべきものだった。

萩原の発想の原点にはこれがあったのだろう。

時を同じくして榎本了壱は、当時暮らしていたフランス人の彼女と、一年間の

フランス滞在を終えて戻ったばかりだった。

このふたりが見聞した世界のアート・シーンを、いち早く伝えるためのアート・

サバイバルマニュアルというあたりが当初のねらいだったのである。


仲間はほかに、このコラムの5回目に書いた代官山「サガミマンション」のメ

ンバー、萩原、榎本に加えて、安藤紘平と写真家の山崎博のファミリーグルー

プ。これにオブザーバーのようなかたちでぼくが加わった。

雑誌の編集実務経験があるニンゲンは一人も居ない。

そこで、ぼくが原稿を寄せていた「フィルムアート社」編集部の高橋克巳に声

をかけて、フィルムアート社とかけ持ちで担当してもらうこととなった。

フィルムアート社は、かつて「季刊FILM」という映画の雑誌を出版してい

て、そのデザインを榎本了壱の師匠にあたる粟津潔が担当していたことから、

榎本も高橋さんとは仕事上の知りあいだったのだ。


榎本は、グラフィックデザイナーとして数多くの出版にたずさわっていたが、

編集者の経験を持っているわけではなかった。

フランス語ぺらぺらのダンディなシティボーイ安藤紘平は、当時はTBSでカ

ラー特殊技術を担当していて、夜も昼もない生活が日常だった。実務を手伝う

余裕などあるわけがなかったし、山崎博は奥さんが家計を支えていて、

「ウチのダンナがかわなかさんがとつきあうようになってから映画をつくるよ

うになって、オカネがかかって困るのよねぇ」と、あからさまに文句をつけら

れていた。一文にもならない仕事を頼める雰囲気ではなかったのだ。

ぼくはといえば「映画評論」で原稿取りの経験はあるけれど、当時は日本の実

験映画をなんとか世に出そうと夢中になっていた。

専従などとうてい出来なかったし、実務を手伝うといっても、出張校正で店屋

物を食べる程度の役にしか立たなかったろう。

けれども、そんな条件でスタートしてしまうところが若さだったのだろうか。


ただちにプレゼンテーション用の見本づくりがはじまった。

暫定編集部は、梅ヶ丘にあった萩原の自宅の庭に建てられたプレハブの二階家。

母屋とは別に、萩原の勉強部屋として建てられたものだったが、そこを編集部

にして、若いエンジンが唸りをあげたのだった。

動き始めると、すべての実務は榎本にかかってしまう。

多忙をきわめる榎本のために、通い慣れた神保町の古書店をのぞいて、芸術・

文化ならびに造本やデザイン関係のさまざまな資料を漁り、梅ヶ丘のエンジン

ルームに届けるのが日課となった。

最初に立ち上げたのはプレゼンテーション用の企画冊子だった。

これを持って萩原朔美は、版元としてあたりをつけていたパルコの増田通二専

務と折衝を開始する。

増田専務と萩原朔美の攻防にかんしては、さきごろ生誕30周年を記念して復

刊した「ビックリハウス」131号に掲載された榎本了壱の文章に詳しい。


固唾をの呑んで見守る仲間の元に、あっけないほど簡単に企画が通ったという

報せが入り、それに勢いづけられるように本格的な雑誌づくりが開始された。

萩原の2度目の嫁、伊藤ノブが編集に加わったのはこのころだろうか。

石黒教子と石渡久美子は、プレゼンテーション用の創刊号のときはすでに居た

のだろうか?

このあたりの記憶はどうも曖昧である。

ともかく、そうして完成した最初の「ビックリハウス」は、しかしプレゼンテ

ーションであっさりボツになってしまった。あまりにもアートに傾きすぎてい

たのだろうか。

アートマガジンならば他にもある、と創刊号をボツにした増田専務はエラかっ

た。

そういえば、あの幻の創刊号はどこにあるのだろう…。


実務は手伝えなかったが、ぼくは創刊時からいろんな名前で原稿を書かせても

らった。

当時のバックナンバーを引っ張りだしてみると、名前はまったく記憶にないけ

れど、これはたしかにぼくが書いたものだ、という文章がずいぶんあった。

映画紹介欄では、恩地美輝(逆に読むとテレビジョン)名義で、長く連載させ

てもらったし、一年間書いたエッセー「猫日記」(これはかわなかのぶひろ名

義)が、連載終了後ぼくの初のエッセー集として出版されたことも忘れ難い。

そしてなにより、創刊半年前の、「自分たちの情報を自分たちで発信する」と

いう情熱に突き動かされた、目も眩むような日々は、30年と半年過ぎた今も

胸を熱くする。

このときの「やればできるのだ」という経験が、その後「月刊イメージフォー

ラム」を創刊し、渋谷に「シアターイメージフォーラム」をつくらせた遠因に

もなっているのだから、ぼくにとって「ビックリハウス」は“運命”というと

いささかオーバーかも知れないけれど、じつに不思議な因縁といえよう。


さきの「ビックリハウス大パーティ」で、創刊時の編集長だった萩原朔美は、

ビックリハウス周辺のひとびとはみんな有名人になった。とつくづく述懐して

いたが、ちなみに萩原は多摩美術大学教授。榎本は京都造形芸術大学客員教授。

安藤紘平は早稲田大学大学院教授。山崎博は東北芸術工科大学教授と、なぜか

みんな教授になっている。

これまたじつに不思議な因縁だ。




>> おまたせしました、公開です。 mau(平野正喜):かわごちCGI担当 [2004/03/08,12:41:09] No.504
「ビックリハウス大パーティ」の余韻にひたりつつ。
なお、迫力のイラストは、あえて、原寸大のままにしました。
>> ギャーでかい イノリン [2004/03/08,17:28:48] No.505
縮小して送ればよかった。恥ずかしいー。
今回はマウスでかいたから、線とかいい加減なのよね。
でも、昔の増田さんが画面に降りてくれたからね。
自分で懐かしくなって笑っちゃった。ロン毛っぽい時あったのよ、確かに。
>> 今回は…。 かわなかのぶひろ [2004/03/09,04:26:57] No.506
イノリンさま●とってもよござんすよ…。
なぜならば、他に同じようなものがない。
と、言うことが嬉しかったよ!

平野さま
yumirinとの家庭団欒を犠牲にさせたようで、こころは多少痛みますが、いつもいつもありがとうございます。
>> 無題 まんまさちこ [2004/03/09,20:11:29] No.507
「いきなり 雑誌をつくろう! と、キラキラ目で
上ずった声をあげた。」
なーんていいですね。
なにか 始める時ってわくわくしますよね。
その気持が 伝わりました。
まんまも 作品製作 やるぞ!
>> キラキラ目 かわなかのぶひろ [2004/03/10,13:53:32] No.508
まんまさま●あなたのキラキラ目はいつも拝見しております。
今年こそ、山形を超える作品を愉しみにしてますぜ。
>> はい。 まんまさちこ [2004/03/16,00:27:17] No.509
今より 明日は もっと!と思いますが。山形を越える作品かあ。やっぱり 海外に行きたいですね。作品で 海外に 行きたい。です。
>> 行っていない国 まんまさちこ [2004/03/16,00:32:13] No.510
は、 かわなか先生は ないでしょうねー(やきもち)。ほとんど 行っちゃったでしょ。うらやましいー。萩原先生も ニューヨークか。皆GGのまわりの人達は 実績を積み ともに 向上しているんですね。
「やればできるのだ」、、、、、、、はい。
>> ニューヨークは mau(平野正喜) [2004/03/18,00:40:29] No.511
私も行ったことがないので、一度は言ってみたい都市です。
巴里もだな。
アメリカでは、アトランタ、ロサンゼルス、ラスベガスは仕事で行ったので、
次に行くとしたら遊びでいきたいなぁ、と、思っています。
>> ニューヨークは まんまさちこ [2004/03/18,21:08:11] No.512
まんまの 一番好きな 土地です。でも あまりつかむものがなく 帰ってきてしまい。大好きな おじいさんの居る、苦い思い出のある土地です。かわなか先生は 何度くらい行ったのですか?
>> んだ。 かわなかのぶひろ [2004/03/18,22:02:34] No.513
行くときはいつも仕事で、しかもケチケチ旅行。
一度ぐらいは観光で行ってみたいよなぁ…。
>> 仕事ですか。 まんまさちこ [2004/03/20,14:08:40] No.514
やっぱりー。仕事で ニューヨークなんて。いいな。まんまは 仕事にしたい 兼 観光でした。次は 完全に仕事で行きたい。ケチケチ旅行とは なにも 食べに行ったりしなかったのですね。それは 同じですが。羨ましい。美術館とかも あまり巡ってないのですか?どのような仕事で ニューヨークへ 行ったのですか?聞きたい!
>> Object not found! まんまさちこ [2004/03/23,01:21:16] No.515
俺節!が見れません(泣)!
>> ゴメン! かわなかのぶひろ [2004/03/24,04:36:40] No.516
まんまさま●ぼくの所為ではないけれど、なぜか消えてしまったんですね。
これにかんしては、ぼくたちは医者のいいなりと同じで、診断はできません。
三遊亭あし歌が気づいてくれるまでは、どうしようもないんですね…。
悪しからず。
>> なんか まんまさちこ [2004/04/14,15:45:38] No.517
今 作品の製作で 忙しいそうで、ここも 当分このままなのかなあ。俺節もみれないし 日記は お忙しくて無理の様子。さびしい。。。。。。
作品完成、楽しみにしています。あー 今追い込みで それどころではないか。。。。
>> 日記 まんまさちこ [2004/04/15,21:28:43] No.518
月曜日の所見て かなり笑っちゃいました。皆 またBHAの方々は 新宿の上映へ そろって見に行くのでしょうか。羨ましいなあ。まんまは 次の機会に 必ず見ます。
>> 日記編 かわなかのぶひろ [2004/10/21,11:54:37] No.523
みなさま
「かわごち」長らく休んでいましたが、書こうと思わぬ日は一日としてなかったんです。
しっかし、自分のサイトの更新に追われて、気になりながらもずるずるサボってしまったのが実状でした。
ようやくサイトを閉じたんで、ここで再開します。
よろしくねっ!…。
>> ひさびさ まんまさちこ [2004/10/27,20:25:57] No.524
見ました。
次号
楽しみにしていますー
>> トリオザパンチ 二瓶 [2005/01/27,21:28:32] No.525
突然すみません(^。^;)
トリオザパンチについてもっと知りたいのですが、
身の回りに知ってる人がいなくて…。
陳さんには1度深夜+1でお会いしたことがあります。
二瓶十久也について調べています。
どんな人だったか、とか・・・。何でもいいので教えて欲しいです。
私は生き別れた娘です。
戸籍でもう死んだということはわかったのですが、
どんな人物だったのかとか、性格とか知りたいんです。
突然ですみません。もし時間がありましたら
よろしくお願いします。
>> 遅れて申し訳ない…。 かわなかのぶひろ [2005/01/30,01:36:54] No.526
●二瓶さま
このところ身辺ばたばたで更新が滞っているばかりか、ここを覗くのも久方ぶりというありさま。ごめん!
さて、二瓶十久也さんというのは、初期「トリオ・ザ・パンチ」の二瓶十久夫さんと思いますが、残念ながらぼくには記憶の彼方になってしまいました。
内藤陳さんなら詳しくご存知と思います。
しかし、陳さんとはすでに話されたんですね。
さきごろ「新宿文化センター」のステージで「トリオ・ザ・パンチ」21世紀バージョンの公演があったんですが、ぼくは時間がとれず見ることができませんでした。
26日に「深夜+1」でその時のステージ写真を見せてもらったのですが…。
役に立たなくてゴメンナサイ。詳しく知っている方に出会えるといいですね。

●平野さま
↑の件、連絡ありがとうございます。
2月一杯は身動き出来ませんが、3月には飲りましょう…。
>> ありがとうございます 平野正喜 [2005/01/30,22:23:07] No.527
かわなかさん、お忙しい中、ありがとうございました。
3月ですね、楽しみにしておりますが、まずは、お身体お大事にて。
>> 余談 平野正喜 [2005/02/04,22:01:12] No.528
余談ですが、先日掲載されたマンガ「取締役島耕作」の最終回に「深夜+1」とおぼしき店と、陳さんとおぼしきマスターが登場しています。
>> 増田さんのご冥福を祈ります 平野正喜 [2007/06/23,18:32:06] No.534
今朝未明に入ったニュースですが、パルコ元会長の増田通二さんは21日にお亡くなりになったとのことです。81歳、急性心不全とのことです。
ご冥福をお祈りいたします。
私にとっては、「ビックリハウス大パーティ」が最初で最後の増田さんのお姿でした。
>> サービス休止のお知らせ HIRANO as RunDog.mau (CGI担当) [2007/08/21,23:05:54] No.535
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